2024.5.4
■吉野林業全書から学ぶ
1_吉野林業全書の刊行
天保11年(1840年)に奈良県吉野郡川上村大滝の林業家の家に生まれた土倉庄三郎は、父祖伝来の造林技術の上に自らの考究、研鑽を重ね工夫を加えた土倉式造林法を生み出し、その成果を世に問うため、明治31年(1898年)に『吉野林業全書』を刊行しました。
それまでの造林技術では「本数を稼ぐために密植をすれば、立派な木は育たない」とされていましたが、土倉式造林法ではあえて密植を行い、間伐を頻繁に行うことで木の成長を確保しながら、間伐材も商品として扱いました。
こうして成長した木は、無節(節がない)、通直(真っ直ぐ)、元末同大(太さが同じ)といった特徴をもって、優良材として全国に知られるようになります。
参照:吉野林業全書
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吉野林業全書の巻頭には、山縣有朋、品川弥二郎をはじめ御料林局長 岩村通俊、奈良県知事 水野寅次郎の題字・序文があり、林業博士 中村弥六校閲、土倉庄三郎校閲、伊藤庄一郎賛助の後に、森庄一郎著と記されています。
川上村北和田で家業が酒や日用品雑貨を扱っていた森庄一郎は、明治17年から書生として土倉家に出入りしていました。吉野林業全書の校閲は庄三郎となっていますが、実は庄三郎が口述し森庄一郎が筆記して文章を整え、中村芳水が毛筆で版下清書したものと考えられています。
原文は文語体で非常に難しい内容ですが、日本林業の父、吉野林業の中興の祖とされる土倉庄三郎の功績から、これからの時代に活かせることを「再び」学んでいきたいと思います。