2025.12.30
吉野の樽丸は、享保年間(1716ー36年)に和泉国(大阪府)堺港の商人が、芸州(広島県)の職人を吉野郡黒滝郷鳥住村に連れてきて製造したことに始まる。
鳥住村では村人がその製造方法を伝授され盛んに製造を行うようになり、次いで鳥住の人が、川上郷高原村(川上村高原)へ来て製造を始め、以来吉野郡一円に樽丸製造が広まり現在のような隆盛を極めている。(吉野林業全書発刊当時=明治時代末期)
吉野郡における樽丸出荷量の第一位は川上郷である。これに次いで黒滝郷、西奥郷、小川郷となっており、さらには中庄郷、池田郷、竜門郷、天ノ川郷、十津川郷、北山郷からも出荷されて、一年間の平均出荷高は2万駄(1駄=四斗樽桶二個)に及んでいる。
その中でも上等品の多くは川上郷で生産されるのである。
この樽丸は、樹齢80年から100年の杉材で製造するのが最良とされている。その製造方法は夏の土用に伐倒して枝葉を落とさずに皮だけをはぎ、約3ヶ月乾燥しておく。(先き山という)
そして根元から最初の枝のある所までを、丸丈(樽丸の長さ)3~5丈分に大鋸で間切る。そしてこれを集めて1丈を一尺八寸(約54㎝)ごとに小切る。

堺泉州の商人が、樽丸用材を求めて吉野へやってきて、ついには遠方から職人を連れてきて現地生産も行えるようにしたことが、吉野林業の施業体系を確定させた大きな要因と言われています。
杉の大径木が商品化されることが村民たちに大きな影響を与え、密植・多間伐・長伐期を吉野林業の最適解としたのです。
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